日本の鉄路について考える

日本の鉄道と観光スポットについての記事を中心に紹介します

みさきまぐろきっぷ:京急電鉄と三浦半島の未来

品川~浦賀三崎口といった都心と三浦半島を結ぶ京浜急行電鉄

近年では羽田空港の利用者が増加し、空港線も大きな賑わいを見せております。

その一方で三浦半島に位置する自治体の人口は右肩下がりの傾向にあり、今後は少子高齢化の影響も相まって更に人口が減少することが予想されています。

 

三浦半島は神奈川県の南東部に位置する半島で、都内からだと京急線やJR横須賀線を利用して行くことが出来る観光スポットの多いスポットです。

 

 この観光資源を有効活用しようということで京急電鉄ではお得な切符として

「みさきまぐろきっぷ」が販売されています。

 

この切符の魅力は何といっても圧倒的コストパフォーマンスであることです。

 

京急線横浜駅からみさきまぐろきっぷを利用すると大人1セットあたり3,650~4,100円(デジタルきっぷの場合)です。

磁気乗車券の場合は4,100円のみでの販売となりますので、デジタルきっぷを利用することをお勧めいたします。

 

切符はネット購入が簡単にできるため、事前に購入して当日は乗車するだけと気軽に利用できます。磁気乗車券は自動券売機で販売している為、窓口等に並ばず購入することが出来ます。

 

切符は3枚で1セットとなっており、パンフレットはネットでも確認できるほか、券売機等に置いてあります。

切符の内容は

①電車&バス乗車券

②まぐろまんぷく

③三浦・三崎おもひで券

となっております。

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切符は3枚で1セットとなっており、これだけで1日を十分満喫できる

電車&バス乗車券は発駅から三崎口までの往復分(途中下車可 ※ただし逆戻りは不可)とフリー区間内の京急バスが乗り放題の券となっており、三崎口駅から先の利便性も確保されています。

 

横浜から特急電車に乗ると三崎口まで電車に揺られること約50分で、三浦半島の玄関口である三崎口駅に到着します。

ちなみに京急線には遭遇すると幸せになれると言われている車両(通称:YELLOW HAPPY TRAIN)が走っています。京急のイメージカラーである赤色の車体が特徴的な京急の車両ですが、この電車だけは黄色い車体となっています。この車両の誕生のきっかけは西武鉄道との企画がきっかけだとか。

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YELLOW HAPPY TRAINという名前で親しまれており、見ることが出来ると幸せになれると人気の電車

赤色の車体の列車が多く走る京急線では圧倒的存在感のある黄色い車体の電車、YELLOW HAPPY TRAIN。西武鉄道には逆に京急電鉄の車両を模した赤色の車両が走っているようです。

 

2枚目のまぐろまんぷく券では提携しているお店でまぐろなどが贅沢に使われた海鮮丼などを食べることが出来ます(通常価格だと大体2,000円前後するそうです)。お店の種類や食べられる料理、お店の立地も様々あるので、食べたいものを食べに行くもよし、観光ルート沿いにあるお店に入るもよし、融通が利く御食事券です。

 

3枚目の三浦・三崎おもひで券は地元のお土産と引き換えることが出来たり、三浦港から出港する観光用の遊覧船に乗車出来たり、釣りの利用券としても利用することが出来ます。

 

この3枚の券を存分に使用すると、少し豪華な昼食代程度は簡単にお得になる切符です。

 

このように、かなりコストパフォーマンスの良い切符となっていますので、利用者数も年々増加傾向にあり、休日は駅、観光スポット共にかなりの賑わいを見せています。

 

日本は少子高齢化社会に突入し、東京一極集中化も進んでおります。三浦半島周辺も例外ではなく、三浦半島の人口が減少するとともに、同区間の輸送人員数も減少すると思われます。地元住民の利用需要が低下することを見越して、京急電鉄は観光需要の創出と拡大を試みており、その起爆剤として「みさきまぐろきっぷ」を発売しているのです。

ただ鉄道を走らせていれば良い時代は終わりを迎え、これから先も生き残っていくためには沿線の魅力や付加価値を向上していく必要があります。その先駆けとして京急電鉄は「みさきまぐろきっぷ」を導入し、沿線の観光地と共に飛躍を試みているのだと思います。

JR北海道の鉄道旅客運賃の上限変更認可申請について

JR北海道は6月28日に鉄道旅客運賃の上限変更認可を、国土交通省に申請したことがニュースとなりました。

快速エアポートについても値上げの波の影響を受けることになります

この上限変更認可が許可されると、運賃改定率は以下のようになります。

普通旅客運賃・・・平均6.6%

定期旅客運賃・・・平均18.9%

旅客運輸収入全体・・・7.6%

 

これにより、初乗り運賃は大人210円(現行200円)、札幌~小樽間は800円(現行750円)に値上がりすることとなります。

ただし、千歳線南千歳駅新千歳空港駅間の加算運賃については据え置き、既に改定を発表している「グランクラス(A)料金」を除く特急料金、座席指定料金、グリーン料金などは、改定の対象外となります。

 

運賃改定の申請理由については、

①人口減少やコロナ禍によって引き起こされた新たな行動様式の定着による鉄道運輸収入の減少

②鉄道維持に要する費用の増加

③労働力の確保

といった、主な3つの課題があると説明しています。

 

JR北海道を取り巻く経営環境をふまえると、従来の運賃・料金水準では、輸送サービスを維持し、改善していくことは難しい状況だということです。

これは札幌圏を含めた営業係数が100を超えていることからも、想定されていたことことではありますが、今後の人口減の流れからも更なる値上げの可能性も十分にあると考えられます。

やはり、冬季の除雪作業などでの人件費増や退職者の増加、人口減による新規採用減が影響しているのではないかと思われます。

 

運賃改定の実施は、2025年4月1日を予定しており、同日以降に発売するきっぷが対象となるとのことです。

五日市線減便から見えてくる首都圏鉄道網の今後

東京の郊外を走る五日市線拝島駅から武蔵五日市駅までを結ぶ約11kmの短い路線です。全線単線ではありますが、電化されており中央快速線でおなじみのE233系が使用されています。朝夕には拝島から青梅線に直通し立川駅まで乗り入れる列車もあります。

 

2015年のダイヤ改正以前は日中の時間帯でも1時間に3本の間隔で列車が設定されており20分毎に列車がやってくるようなダイヤになっていました。それが2015年のダイヤ改正後は日中の時間帯に減便が実施され、1時間に2本となってしまいました。

20分と30分、両者の差は10分ではありますが、心理的にはこの差は大きいと思います。減便された当時は、「東京から1時間30分程度で乗車できる五日市線が地方ローカル線のような立ち位置である」ということに驚きを隠せませんでした。

また2022年のダイヤ改正では、中央快速線との相互直通運転が終了(土休日運転のホリデー快速も廃止)し、都心とのつながりが更に薄くなってしまいました。これは中央快速線グリーン車サービス開始に向けた影響といえます。

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緑の中を駆け抜けるE233系 ここも東京都の一部である ※画像:鉄道ホビダス

①沿線は車社会である

東京は公共交通機関が発達しており、自家用車がなくても不自由なく生活できるというイメージが浸透しています。実際東京23区内や吉祥寺駅を有する武蔵野市多摩地域の中心である立川市などでも公共交通機関が発達しており便利になっています。

しかし、五日市線の沿線である、あきる野市やその先の桧原村青梅線の青梅~奥多摩間にあたる奥多摩町などは同じ東京都とは思えないほど緑が豊かな地域で、人口も少ない地域です。この地域では駅を中心に発展しているわけではなく、街道沿いなどが発展しているケースが多くあります。

そういった背景から地元住民は車での移動がメインとなっており、東京では珍しく車社会となっています。それ故に、立川や都心方面への通勤需要はあるものの、日中の移動需要が少ない、これが五日市線の利用需要の低さにつながっていると考えらえます。

 

②通学利用者が減っている

近年は少子化が進み、沿線にある高校への通学利用が減少していることも挙げられます。どの高校でも学級数が減少したり、通学費用を抑えるために自転車通学する学生も多くなってきていることから、より一層の学生離れが進んでいると思われます。

また授業後や部活後に電車で帰宅しようとしても、30分間隔でしか列車が来ないとなるとどうしても不便さが際立ってしまいます。そうすると家族が車で迎えにきたり、自由の利く自転車を利用する学生が更に増加する可能性があると思います。

 

多摩地域の存在感が低下している

近年では都心回帰の動きが出ており、多摩地域の人口が減少傾向にあります。

この減少傾向は多摩地域の中心を担っている、立川や八王子近辺でも見られており、全体的に多摩地域の存在感が低下している現状があります。

その後立川周辺の再開発などで持ち直している地域もあるものの、五日市線沿線のあきる野市桧原村青梅線末端区間奥多摩町などでは年々人口が減少しています。

この都心回帰の動きは今後も加速することが予想され、五日市線沿線自治体では過疎化などの問題に直面する恐れがあります。そうなった場合、五日市線の利用者数も連動して減少することが予想されますので、今後データイムを中心に減便等の措置がなされるのではないでしょうか。

 

しかし、五日市線沿線には秋川渓谷などの観光スポットがあり、この観光需要をいかに活かせるかが今後のカギになると思います。平日は現状維持が限界だとしても、土休日は行楽客の取り込みよる需要の拡大が狙えると思います。

ただし、先述の通り、土休日に運行されていた「ホリデー快速」が廃止となってしまったこともあり、観光需要に対応した列車が存在しなくなってしまったことは、残念でなりません。

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201系「四季彩」 以前は観光用の列車が青梅線に存在していた ※画像:Wikipedia

青梅線に201系が走っていた時代には「四季彩」という観光向けに改造された201系列車が活躍していました。しかしE233系に置き換えられてからはそういった観光向けの列車がありません。そういった観光向けの列車を走らせることで話題となり、都心からもアクセスが良いことから利用の創出は地方のローカル鉄道と比較すれば可能性が大いにあります。今後の五日市線の未来は多摩地域の未来を反映すると思われますので、今後の動向に注目していきたいところです。

南武線快速稲城長沼行設定の真相

 2019年3月のダイヤ改正より、帰宅ラッシュ時間帯に南武線の快速運転が開始されました。それ以降現在に至るまで夕方の快速運転は継続されています。

具体的な内容としては、下り列車は平日17~19時台に快速列車を4本を(川崎発稲城長沼駅行)運行し、上り列車は平日18~19時台に快速列車を4本(登戸発川崎行)運行するというものです。

接続の取り方としては上り列車が登戸駅武蔵中原駅で快速と各駅停車の接続が図られます。一方下り列車は武蔵溝ノ口駅稲城長沼駅で接続するダイヤが組まれています。

そこで今回はこの快速運転に実施による効果をみていきたいと思います。

南武線にはE233系6両編成が使用されています ※出典:Wikipedia

①所要時間が短縮される

下り列車で見てみると、川崎から立川まで各駅停車のみを利用するよりも、川崎から稲城長沼まで快速を利用し、同駅で接続する各駅停車を使用した方が5分程度の所要時間の短縮になる計算です。

上り列車についても、立川から川崎まで各駅停車のみを利用するよりも、途中の登戸で同駅始発の快速に連絡することで所要時間の短縮となります。

 

②立川行の列車の混雑が緩和される

この快速新設の目的としてはこちらがメインではないかと思われます。といいますのも、武蔵小杉をはじめ南武線沿線は近年急速に発展しており利用客の増加が顕著に表れている路線です。

しかし南武線は首都圏では短い6両編成で運行をしており、8両編成化の見通しはほとんどありません。これは津田山駅や西国立駅は踏切が駅両端にあるため、8両編成化するとドアカットなどの措置が必要となるといった観点からです。

また車両基地電車区の関係で車両の留置数が限られており、これ以上の増発や増結には土地や設備が新たに必要となるといった問題があります。南武線沿線は住宅地や企業の設備が多く存在しており、新たな用地確保は非常に厳しいと思われます。

こういった背景から今回の快速稲城長沼行は誕生したのだと考えます。

まずはじめに南武線の路線図をご覧ください。

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快速運転区間が全区間になったことで利便性は大きく向上した ※画像:Wikipedia

南武線の快速列車は川崎を出ると、鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原武蔵新城武蔵溝ノ口、登戸、稲田堤、稲城長沼と停車していきます(立川行はその後府中本町、分倍河原、立川と停車)。

このうちの武蔵溝ノ口稲城長沼で先行する各駅停車立川行に接続するダイヤになっています。

南武線の混雑区間は川崎から武蔵溝ノ口駅間でその後は立川方面へ向かうほど混雑率は低くなっていきます。すなわち、川崎から武蔵溝ノ口駅間の列車ごとの混雑率の分散がカギを握ります。

 

快速稲城長沼行が誕生する前は、立川行、登戸行、立川行、稲城長沼行といったように立川行の間に途中駅止まりの列車が挟まって運行されているのが基本のダイヤでした。また全列車が各駅停車なので、途中駅での待ち合わせ等はなく、登戸や稲城長沼より先の立川方面まで利用する旅客は立川行に流れ、それよりも川崎側の駅を利用する人は次に発車する列車が必ず先着するので行先関係なく先発列車に乗り込みます。

そうすると、立川行列車の需要が大きくなり、相対的に途中駅止まりの列車よりも混雑するのは明白です。

これが快速稲城長沼行の設定により大きく変わります。というのも、快速は1本前の各駅停車を武蔵溝ノ口駅で、稲城長沼駅で2本前の各駅停車に追い付きます。これにより、快速列車に乗れれば途中駅で先行の立川行に追い付けるようになったのです。

すなわち、稲城長沼から先の各駅に向かう場合、2本前の各駅停車立川行に乗車するか、快速稲城長沼行に乗車すればいいという訳です。これだけでも立川行の混雑は分散します。

そして武蔵溝ノ口稲城長沼までの快速通過駅を利用する場合は1本前の各駅停車か快速に乗車して武蔵溝ノ口で接続する各駅停車(1本前の各駅停車)に乗り換えればいいということになります。同様に川崎~武蔵溝ノ口(武蔵小杉~武蔵溝ノ口間は各駅停車なので実質武蔵小杉まで)間の快速通過駅を利用する場合は快速列車以外に乗車すればいいという訳です。

 

これをトータルで見ると遠近分離がうまくなされており、近距離利用者は各駅停車を、中長距離利用者は快速に乗車、乗り換えをしてもらうことで特定の列車が混むことを防止しています。

この遠近分離が利用者数の多い川崎から武蔵溝ノ口駅間で行えているのがこの快速稲城長沼行の効果なのです。

 

※快速稲城長沼行のデメリットを受ける駅

当該駅は当たり前ではありますが、快速列車の通過駅です。しかし、武蔵溝ノ口駅で先行の各駅列車に乗り換えが可能なので、実質デメリットを受けるのは通過駅の中でも尻手、矢向、平間、向河原の4駅のみです。

この4駅は川崎からも近く、乗車時間もそれほど長くはないので、それよりもメリットの大きい快速稲城長沼行の設定を行ったものと考えられます。

 

今後も南武線の利用需要はある程度まで伸びることが予想されています。8両編成化や車両数の増量が厳しく、ほぼ並行して走る武蔵野貨物線の旅客化は現実的に行われる見込みはありません。そうするといかに混雑率を分散し特定の列車に乗客が集中しないように工夫する他ありません。

今後もラッシュ対策としてどんなダイヤを組んでいくのか注目されています。

地方都市の新たな挑戦:富山ライトレール

JR西日本の路線の一つであった富山港線が廃止され、その跡地に富山ライトレールが開業しました。開業前は経営が上手くいくのか懐疑的な意見も聞かれましたが、その予想をよそに順調な経営状態を維持しています。

今回は富山ライトレールが成功した訳を紐解いていきたいと思います。

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路面電車型の車両が走る富山ライトレール ※画像:Wikipedia

富山港線の廃止

山口駅岩瀬浜駅を結び、富山市中心部や沿線の工場や学校への通勤通学利用が多かった当路線は、朝夕の利用者は一定数あったものの、日中の時間帯は利用者数が低迷している状態でした。

そこで、朝夕は電車、日中はレールバスで運行をするなど、日中の運行コストを下げる対策が取られていました。

そして運行本数は朝夕は30分間隔で運転されていたものの、それ以外の時間帯は概ね1時間に1本程度で、間隔が空く時間帯では2時間程度も列車が来ない状況でした。

これでは日中の利用者を見込めるはずもなく、2006年3月に廃止となりました。

 

富山ライトレールの開業

富山港線が廃止されて約1か月後の2006年4月29日から富山ライトレールの運行が開始されました。

路線が富山ライトレールに移管されてから起点駅は富山駅北に変更され、一部路線のルートが変更されたものの、岩瀬浜方面の路線は富山港線時代と大きな変化はありません。

それでも富山ライトレールの利用者数が大きく飛躍したのにはいくつかの理由が挙げられます。

 ・運行頻度が高くなった

・駅数が増えて小回りが利くようになった

岩瀬浜から先の末端区間とを結ぶバスの運行

 

一番の大きな理由は運行本数増加による利便性の向上です。富山港線時代は1時間に1本程度しか列車がなく、気軽に利用できる状況ではありませんでしたが、ライトレールは約10分間隔で運行されています。これだけの本数があれば心理的にも気軽に利用できるラインになったといえます。

さらに終電時刻が大幅に繰り下げられたのも特徴です。富山港線時代21時台に終電が出ていましたが、ライトレールでは23時台まで運行が確保されています。こういった運行頻度や終電時刻の繰り下げにより気軽に利用しやすい路線となり、利用機会が大きく向上したことが利用者の獲得につながったといえます。

そして次にあげられる理由は駅数の増加です。富山港線時代は電車が走る路線であった為に駅数が限られていましたが、ライトレールでは路面電車が走行していることで小回りがきき、駅数を増やすことが出来ました。これにより以前よりも細かなニーズに応えることができるようになり、特に高齢者の足としても活躍するようになりました。

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新駅の命名権を販売するなど地域に親しみやすい路線になった一因であるだろう ※画像:Wikipedia

最後はバスとの共栄です。富山港線時代は富山港線と並行するバス路線が運行されており、バスとは競争関係にありました。しかしライトレールに転換された際に、競合するバス路線の運行取りやめと岩瀬浜駅から先の末端区間へのバス路線の新設により共栄関係になりました。これにより、利用客の取り合いがなくなり、更にライトレールの路線より先の地域の住民の利用機会創出に路線バスが一役買っています。それが設備として表れているのが岩瀬浜駅です。この駅はライトレールのホームのすぐ横に路線バスの停留場が設けられており、両者の乗り継ぎがしやすいよう考慮されたつくりとなっています。

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バスと対面乗り換えが出来る構造になっているライトレール ※画像:Wikipedia

富山地方鉄道へ吸収合併、路線範囲の拡大

2020年2月に富山地方鉄道へ吸収合併されることとなり、それと同時に富山軌道線との接続が実施されました。これにより同線と一体で運行される形態となり、富山駅直下への乗り入れが実現されました。

 

このように車社会が進んだ地方都市においても路面電車として運行することで路線の維持が可能であるということがライトレールによって証明されました。

ライトレールをはじめとする路面電車のメリットは運行経費が電車に比べて安く、小回りが利くことです。このメリットを活かしつつ、地方都市のコンパクトシティ化などと並行して事業化すれば地方都市の利便性の確保にもつながります。実際他の都市でも導入を検討しているケースがあるようです。

少子高齢化社会となり国内人口が減少している現在だからこそ、こういった転換も必要になってくるケースがあると思います。富山ライトレールのように地域に定着する新たな路線のケースとして今後も期待したいと思います。

札沼線の末端区間廃止から思うこと(後編)

札沼線の末端区間廃止から思うこと(前編)では、札沼線が持つ二つの顔について、両者を比較しながらまとめてみました。

southsnows.hatenablog.com

 

 今回は廃止された区間である、北海道医療大学駅新十津川駅間についてみていきたいと思います。

 ①輸送人員が極端に少ない

北海道医療大学駅新十津川駅間が廃止となった最大の要因は輸送人員が少ないことです。

鉄道の運行には維持費や人件費、燃料代などの経費がかかります。その費用を旅客が支払う運賃によって回収しているわけですが、同じ列車を走らせても利用者が少なければ当然運賃収入は減少します。すなわち、一列車あたりの儲けが減少し、それが赤字になる場合もあるわけです。

北海道医療大学駅新十津川駅間の輸送密度は57(人/km/day)と国鉄再建を促進する為にバス転換が妥当とされていた4,000(人/km/day)を大きく下回る結果となっています(平成29年度の数値)。

すなわち、国鉄再建時であれば間違いなく鉄道路線としては廃止され、バス転換等の措置が取られていたと思われます。

 

また、この区間で100円の収入を得るためにかかる費用は2,213円と営業係数が1,000を超える大赤字の状態です。これでは列車を走らせるほど赤字になってしまう危機的状況です。

 

北海道医療大学駅の1日平均乗車人数は2,000人を超えていますが、その先の新十津川駅までの各駅ではそれを大きく下回ります。この区間唯一の有人駅で利用需要が比較的大きい石狩月形駅でさえも 、1日平均乗車人数は79人です。

その後浦臼駅の13.2人、新十津川駅の8.4人と続き、1日平均乗車人数が1人以下の駅もこの区間だけで5駅存在します。

石狩月形駅は月形高校へ通学する学生の通学需要があり、その利用で比較的需要があるのだと思われますが、その他の地域輸送としての役割は果たせていないのが現状です。

 

このような利用実態を踏まえ、JR北海道は「将来にわたり収支の改善が見込めないため」として、北海道医療大学駅新十津川駅間(47.6km)の廃止を決定しました。

 

函館本線と近い場所を走っている

次にあげられるのが札沼線の廃止区間函館本線と並走しているということです。まずは下の地図をご覧ください。

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今回廃止される区間(赤線)は函館本線と比較的近い場所を走行している 画像:鉄道ニュース速報

この地図から分かるように、札沼線新十津川駅へ向かうにつれて札沼線函館本線(緑線)に寄っていくことが分かると思います。

実際、新十津川駅近くにある新十津川村役場から滝川駅まではバスで15分かからない距離です。

また函館本線には特急列車が多く走っており、滝川駅にはその特急列車も停車する為、本数も1時間に2,3本程度あります。新十津川駅周辺に住んでいる方も対岸にある滝川駅を利用するのが一般的であると容易に想像がつきます。

 

ここで新十津川駅滝川駅の両駅を比較してみると以下のようになります。

 

滝川駅からは札幌までの直通列車(特急)が出ており、所要時間が短い

(→新十津川駅から札幌までは途中駅で乗り換えが必要で、所要時間も長い)

滝川駅からは毎時2,3本の列車本数が確保されている

(→新十津川駅からの列車は1本のみしかなく時間帯も微妙で不便、日帰りも出来ない)

滝川駅から出る列車の方が車内設備も新しく、居住性が高い

(→新十津川駅からの列車は古い車両で、最近の車両に比べると居住性が低い)

 

これだけの条件を比較しても分かるように、鉄道で札幌方面へ出かけようと考えた時に、後者の滝川駅を選択することは必然的な事実であると思います。

 

以上のように札沼線北海道医療大学駅新十津川駅間は月形高校への通学利用は若干あるもののそれ以外の利用は鉄道ファンの利用を除けばほとんどなかったものと思われます。

区間の廃止後は月形高校への通学需要を踏まえバス路線が新設されており、輸送実績的にもバス輸送で十分まかなえる数値です。

 

日本全体で少子高齢化や地方都市の過疎化などの問題が発生し、残念ではありますが今後も鉄道路線の廃止やバス転換が実施されていくと思います。

「何が何でも鉄道を残さないといけない」という考えではなく、地域輸送とは何なのか、そこをしっかりと見据えたうえで交通網の整備を行ってほしいと思います。

札沼線の末端区間廃止から思うこと(前編)

JR北海道の路線の一つに札沼線という路線があります。

札沼線は桑園~北海道医療大学駅間を走行する路線のことですが、列車は隣の札幌駅を起点に運行されています。

この路線の沿線には高校や大学が数多く設置されているため、「学園都市線」という愛称が付けられています。

 

札沼線は札幌~石狩沼田駅間を結ぶ路線でしたが、1972年に赤字83線の一つとして石狩沼田~新十津川駅間が廃止となり、その後2020年には北海道医療大学新十津川駅間が廃止され現在の姿になっています。

路線名の札沼線とは、札幌と石狩沼田を結ぶ路線という当時の名残で名前が残っています。ただし近年は学園都市線という愛称を用いるのが一般的で札幌駅での放送などにも愛称である学園都市線が案内として使用されていますので、札幌駅で札沼線の乗り場を聞いてもピンと来ないケースもありそうです。

 今回は札沼線の簡単な路線紹介を前編、2020年の廃止区間の考察を後編としてまとめていきたいと思います。

 二つの顔を持つ札沼線

札沼線は路線の中で二つの顔を持っており、両者を比較すると同じ路線であることが不思議な程大きく性格が異なります。

 

①札幌・桑園駅北海道医療大学駅

この区間は沿線に高校や大学の数が多く、札幌のベットタウン化が進んだことで宅地開発がなされた区間となります。その為、朝夕のラッシュ時は通勤通学利用の需要が大きく、ラッシュ時は1時間に4本程度の電車が運転されています。また日中の時間帯でも20分に1本程度の割合で電車が運転されていますので利便性が高いエリアです。

この区間の大部分(八軒~あいの里教育大駅間)は複線であり、全区間で電化されているため、3,6両編成の電車が使用されています。

八軒駅~札幌駅まで複線化されていないのは、札幌駅周辺が高架化された際に札沼線の存在感はほとんどなかった為(全線廃止されてもおかしくない状況でした)、専用の線路がなかったという背景があります。その後需要が大きく伸びた為、無理やり単線の線路が専用線路として設けられましたが、複線分の用地がなかったので単線のまま現在に至ります。

 

電車は札幌駅からあいの里公園石狩当別北海道医療大学駅間で運転されています。以前は1日1往復だけ札幌を超えて千歳空港まで直通する快速エアポートが運転されている時期もありました。

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この区間は電化されており、利用者が多い為最長6両編成の電車が使用されている

北海道医療大学駅新十津川駅

2020年の廃止までは札幌方面からこの区間札沼線で向かう場合、途中の石狩当別駅で乗り換えが必須でした。この区間は利用者が少なく、非電化区間になるので「キハ40系」という気動車が使用されていました。

列車の運行本数としては廃止直前のダイヤを見てみると、石狩当別浦臼間が5往復、石狩月形までが下りが2本、上りは1本、終点の新十津川駅まで走る列車は1往復と閑散としたダイヤで、日常的に利用するのが困難なダイヤでした。

ちなみに石狩当別駅から新十津川駅へ向かう列車は7時45分発の1本でしたので、この列車が新十津川行の最終列車であり、これを逃すと列車で新十津川駅へ向かうことは出来ません。

また石狩月形駅新十津川駅間は列車の行き違いが出来る設備がないため、一本の列車しか走行できない区間としても有名でした。

新十津川駅に停車中のキハ40系 この風景を見ることはもうできない

 

廃止直前のダイヤでは新十津川駅を発車するたった1本の電車は10時丁度発のみ。

この電車に乗っても、日帰りでこの駅に戻る列車はないので札沼線のみを利用する場合は日帰りで札幌方面へ行くことは出来ませんでしたし、また時間帯的にも通勤通学利用が見込める時間帯でもないですので、この区間の役目は当分前に終わっていたのでしょう。

廃止前のブームで鉄道ファンの方を中心に利用されていましたが、「地元住民の足」としてはほとんど機能していないことを実感するダイヤでした。

 

次回は北海道医療大学駅新十津川駅間の廃止について考えていきたいと思います。

※途中の写真はWikipediaの画像を使用しております。