富山ライトレールが成功した訳
JR西日本の路線の一つであった富山港線が廃止され、その跡地に富山ライトレールが開業しました。開業前は経営が上手くいくのか懐疑的な意見も聞かれましたが、その予想とは裏腹に順調な経営状態を維持しています。
今回は富山ライトレールが成功した訳を紐解いていきたいと思います。
①富山港線の廃止
富山口駅と岩瀬浜駅を結び、富山市中心部や沿線の工場や学校への通勤通学利用が多かった当路線は、朝夕の利用者は一定数あったものの、日中の時間帯は利用者数が低迷している状態でした。
そこで、朝夕は電車、日中はレールバスで運行をするなど、日中の運行コストを下げる対策が取られていました。
そして運行本数は朝夕は30分間隔で運転されていたものの、それ以外の時間帯は概ね1時間に1本程度で、一番間隔が空く時間帯では2時間程度も列車が来ない状況でした。
これでは日中の利用者を見込めるはずもなく、2006年3月に廃止となりました。
②富山ライトレールの開業
富山港線が廃止されて約1か月後の2006年4月29日から富山ライトレールの運行が開始されました。
路線が富山ライトレールに移管されてから起点駅は富山駅北駅に変更され、一部路線のルートが変更されたものの、岩瀬浜方面の路線は富山港線時代と大きな変化はありません。
それでも富山ライトレールの利用者数が大きく飛躍したのにはいくつかの理由が挙げられます。
・運行頻度が高くなった
・駅数が増えて小回りが利くようになった
一番の大きな理由は運行本数増加による利便性の向上です。富山港線時代は1時間に1本程度しか列車がなく、気軽に利用できる状況ではありませんでしたが、ライトレールは約10分間隔で運行されています。これだけの本数があれば心理的にも気軽に利用できるラインになったといえます。さらに終電時刻が大幅に繰り下げられたのも特徴です。富山港線時代21時台に終電が出ていましたが、ライトレールでは23時台まで運行が確保されています。こういった運行頻度や終電時刻の繰り下げにより気軽に利用しやすい路線となり、利用機会が大きく向上したことが利用者の獲得につながったといえます。
そして次にあげられる理由は駅数の増加です。富山港線時代は電車が走る路線であった為に駅数が限られていましたが、ライトレールでは路面電車が走行していることで小回りがきき、駅数を増やすことが出来ました。これにより以前よりも細かなニーズに応えることができるようになり、特に高齢者の足としても活躍するようになりました。
最後はバスとの共栄です。富山港線時代は富山港線と並行するバス路線が運行されており、バスとは競争関係にありました。しかしライトレールに転換された際に、競合するバス路線の運行取りやめと岩瀬浜駅から先の末端区間へのバス路線の新設により共栄関係になりました。これにより、利用客の取り合いがなくなり、更にライトレールの路線より先の地域の住民の利用機会創出に路線バスが一役買っています。それが設備として表れているのが岩瀬浜駅です。この駅はライトレールのホームのすぐ横に路線バスの停留場が設けられており、両者の乗り継ぎがしやすいよう考慮されたつくりとなっています。
このように車社会が進んだ地方都市においても路面電車として運行することで路線の維持が可能であるということがライトレールによって証明されました。
ライトレールをはじめとする路面電車のメリットは運行経費が電車に比べて安く、小回りが利くことです。このメリットを活かしつつ、地方都市のコンパクトシティ化などと並行して事業化すれば地方都市の利便性の確保にもつながります。実際他の都市でも導入を検討しているケースがあるようです。
少子高齢化社会となり国内人口が減少している現在だからこそ、こういった転換も必要になってくるケースがあると思います。富山ライトレールのように地域に定着する新たな路線のケースとして今後も期待したいと思います。